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    考古学

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    1: しじみ ★ 2018/09/04(火) 12:15:39.26 ID:CAP_USER
    【ロンドン時事】
    ギリシャ神話で牛頭人身の怪物ミノタウロスが閉じ込められたとされる迷宮は、実在しない-。
    米大研究者が最新調査でこう結論付け、米考古学専門誌に論文が掲載された。英紙タイムズがこのほど報じた。

     ギリシャ神話では、クレタ島のミノス王が自らの王妃と雄牛の間に生まれた凶暴なミノタウロスを迷宮に閉じ込めたとされる。
    古代ミノア文明の存在を明らかにした英考古学者アーサー・エバンズが1900年、クレタ島で複雑な構造を持つクノッソス宮殿遺跡を発掘し、「おそらく実在した迷宮の跡地だ」と推定して以来、考古学者や歴史ファンの間で実在するかどうかをめぐり論争を呼んできた。
     同島の古代都市遺跡「ゴルティス」の近くの迷宮のような洞窟を有力候補に挙げる声もあった。
     しかし、米シンシナティ大学の考古学者アントニス・コツォナス氏は論文で、いずれの遺跡でも文献学上も考古学上も迷宮の跡地とする根拠が見当たらず、「神話は特定の場所や記念碑とは結び付いていないようだ」と結論付けた。
    特にクノッソスでは、古代ギリシャ人が「迷宮」と信じていた場合には見つかるはずの儀式芸術の痕跡がなかったという。(2018/09/04-05:26)

    ■ギリシャのクノッソス宮殿遺跡
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    時事ドットコム
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090400109&g=int
    http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1536030939/ >>追加の記事を読む

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    1: 樽悶 ★ 2018/08/23(木) 18:48:40.59 ID:CAP_USER9
    「デニソワ11」の骨片(2015年6月14日撮影、2018年8月22日入手)
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    【8月23日 AFP】デニー(Denny)は、初期人類の異種交配で生まれた「婚外子」だった。

     22日の英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された研究論文によると、デニーの母親は初期人類ネアンデルタール(Neanderthal)人で、父親はデニソワ(Denisova)人だったという。デニソワ人は5万年前にユーラシア(Eurasia)大陸に生息していた、ネアンデルタール人とは別種の初期人類だ。

     英オックスフォード大学(Oxford University)の科学者らが名付けた愛称で呼ばれているこの少女は、正式名が「デニソワ11(Denisova 11)」で、死亡時の年齢が少なくとも13歳、死因は不明とされている。

     論文の筆頭執筆者で、独マックス・プランク進化人類学研究所(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)の研究者のビビアン・スロン(Vivian Slon)氏は「異なるヒト族、初期人類のグループ間での異種交配を示す証拠は、これまでにも存在した」と説明する。「だが、直接の第1世代の子孫を発見したのは、今回の研究が初めてだ」

     デニーの驚くべき血筋は、ロシアの考古学者チームが2012年に露シベリア(Siberia)のアルタイ山脈(Altai Mountains)にあるデニソワ洞穴(Denisova Cave)で発掘した骨片によって明らかになった。

     この骨のDNA分析結果は疑う余地がなかった。染色体がネアンデルタール人とデニソワ人の半分ずつの組み合わせになっていたからだ。これら初期人類の異なる2種は40万年前から50万年前までの間に分岐した。

     論文の主執筆者で、マックス・プランク研究所のスバンテ・ペーボ(Svante Paabo)教授は「分析に不手際があったに違いないと当初は考えた」と話す。同教授は10年前、今回と同じ洞穴遺跡でデニソワ人を初めて発見した。

     4万年前以前のネアンデルタール人、デニソワ人、現生人類ホモ・サピエンス (Homo sapiens)などの初期のヒト属のゲノム(全遺伝情報)については、解析が完了したものは全世界で二十数例に満たず、異種交配の第1世代の個体に巡り合う確率はゼロに近いほど低いように思われた。

     あるいは、そうではないのかもしれない。

    ■異種間の交わり

    「ネアンデルタール人とデニソワ人の混血個体を発見したというこの事実は、これまで考えられていたよりはるかに頻繁に異種交配が行われていたことを示唆している」と、スロン氏は指摘した。

     後期更新世のユーラシア大陸において異種間の交わりがそれほど珍しいことではなかった可能性があることの最も有力な証拠は、現生人類の遺伝子の中にある。

     全世界のアフリカ系以外の現世人類は現在、ネアンデルタール人に由来するDNAを約2%保有していることが、過去の研究で明らかになっている。

     デニソワ人の名残もまた広範囲に及んでいるが、分布はネアンデルタール人ほど均一ではない。

    「デニソワ人のDNAの痕跡は、アジア全域とアメリカ先住民の間では全体の1%弱含まれていることが明らかになっている」と、ペーボ教授は話す。また、オーストラリアの先住民アボリジニと南太平洋のパプアニューギニアの人々は約5%保有しているという。

     欧州の中部および西部にわたって広く分布し繁栄していたネアンデルタール人がなぜ約4万年前に姿を消したかという疑問をめぐっては、白熱した議論が繰り広げられている。総合的に見ると、今回明らかになった事実はこの疑問に対する斬新な答えを裏付けるものになっている。

     これまで、ネアンデルタール人の謎の絶滅をめぐっては、病気、気候変動、現生人類ホモ・サピエンスによる集団虐殺やこれらのいずれかの組み合わせなどが原因として挙げられてきた。

     だが、アフリカから集団移動でやって来た現生人類が、ネアンデルタール人とおそらくデニソワ人もを、攻撃でなく愛情で制圧したとすればどうだろうか。

    「これらの初期人類集団に関しては、単に現生人類集団に吸収されたにすぎない可能性があるという説明もできる」と、ペーボ教授は述べた。「現生人類は数で勝っていたため、他のヒト種が合併吸収されたのかもしれない」

     ネアンデルタール人は主に欧州に、デニソワ人はアジア中部と東部にそれぞれ定住していたが、もしそうでなかったら2種間でさらに多くの混血が起きていたかもしれないと、研究チームは推測している。

    2018年8月23日 15:15
    http://www.afpbb.com/articles/-/3186981

    スレッドURL: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1535017720/

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    1: しじみ ★ 2018/08/17(金) 15:12:16.87 ID:CAP_USER
     江戸時代の書物の紙に含まれていた毛髪を分析したところ、当時の庶民の食生活が見えてきた――。そんな研究結果を14日、龍谷大などの研究チームが発表した。時代が進むにつれて、海産魚をよく食べるようになったことなどが、元素の分析から推定されるという。

     龍谷大の丸山敦准教授(生態学)によると、江戸時代の都市では出版ブームが起こり、たくさんの書籍が発刊された。大量の紙が必要なことから、古紙の回収や再生紙づくりも盛んになり、この過程で毛髪が紙に埋め込まれた。これらの毛髪は、たまたま混入した可能性のほか、耐久性を上げるための材料として、意図的に混ぜられたとする説もあるという。

     チームは、江戸時代に作られた書物から、130サンプルの毛髪を採取。炭素や窒素の同位体の割合を分析し、食生活を調べた。

     その結果、1700年以降の200年間に、海産魚を食べる割合が徐々に増加していったことが裏付けられた。漁業技術が発達し、ニシンなどの漁獲量が増えたことが背景とみられる。

     地域別にみると、江戸では、ヒエやアワなどの雑穀を食べる割合が比較的多かった。「江戸患い」と呼ばれた脚気が流行したため、ビタミンを含む雑穀を食べる健康法が広まっていた可能性があるという。

     丸山さんは「今後、飢饉(ききん)などの大きな出来事の前後で食生活が変わったかどうかについても、詳細に調べたい」と話している。

    http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180814001815_comm.jpg
    no title


    朝日新聞デジタル
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    no title
    1: しじみ ★ 2018/08/05(日) 18:42:49.04 ID:CAP_USER
    国際的な研究チームがエジプトのギザの大ピラミッドの物理的特性を解析した結果から、
    ピラミッドは電磁エネルギーを内部で共鳴させていくつかの部屋に集中させることが可能な構造になっていることが明らかにされました。
    ピラミッドということで非常にスケールの大きな発見なのですが、実際にはこの成果はナノ粒子の分野にも新たな発見を見いだすことにつながる可能性があります。

    Electromagnetic properties of the Great Pyramid: First multipole resonances and energy concentration: Journal of Applied Physics: Vol 124, No 3
    https://aip.scitation.org/doi/10.1063/1.5026556

    Study reveals the Great Pyramid of Giza can focus electromagnetic energy
    https://phys.org/news/2018-07-reveals-great-pyramid-giza-focus.html

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    hito2_genjin_java_pekin
    1: 樽悶 ★ 2018/08/05(日) 14:16:23.97 ID:CAP_USER9
    青谷上寺地遺跡から出土した人骨(県埋蔵文化財センター提供)
    https://www.yomiuri.co.jp/photo/20180803/20180803-OYTNI50069-L.jpg

     ◇青谷上寺地遺跡 日本人ルーツ解明へ

     ◇県教委など

     県教委は3日、青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で見つかった弥生時代後期の人骨約40点を使って、DNA分析する調査を国立科学博物館などと始めたと発表した。弥生時代後期の人骨をこれほどまとまった形でDNA分析するのは初めて。

     調査は、同館と国立歴史民俗博物館、県埋蔵文化財センターなどの共同研究。青谷上寺地遺跡では、約5300点に及ぶ人骨が出土しており、そのうち約40点から、微量の骨を削り取り、ミトコンドリアDNAや核DNAの分析を行う。弥生時代前期の人骨のDNA分析は、九州北部の甕棺墓(かめかんぼ)に納まった人骨を使ったものなどがあるが、後期で多数の人骨を分析した例はないという。

     調査では、髪の毛や肌、瞳の色などの身体的特徴のほか、すでに分析が進んでいる大陸や朝鮮半島、在来の縄文人の遺伝的特徴と比較することで、日本人のルーツの解明につながる可能性がある。

     県教委の担当者は、「弥生時代後期の人に関するデータは少なく、縄文時代から日本人がどう変化してきたかを知る糸口になることを期待したい」としている。

     DNAの分析を受け、県は「青谷人プロジェクト」として、研究成果を紹介するフォーラムの開催や、フィギュアによる人体の復元などを検討している。

    読売新聞 2018年08月04日
    https://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20180803-OYTNT50218.html

    ★1:2018/08/05(日) 01:27:21.56
    http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1533400041/

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    himiko
    1: しじみ ★ 2018/08/04(土) 14:33:56.88 ID:CAP_USER
    邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135~230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明~248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。

     同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135~230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。

    纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。

     また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100~200年との分析結果が出ているという。

     同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。

    一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。

     〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。

    https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
    ■動画
    https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg



    産経ニュース
    https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html

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    hito2_genjin_java_pekin
    1: しじみ ★ 2018/06/21(木) 22:13:08.52 ID:CAP_USER
    約5000年前~約7000年前の間にアジア、ヨーロッパ、アフリカに住む男性の大半が死亡している時代があり、17人の女性に対し、
    1人の男性しかいなかったことがわかっています。
    「なぜ、このような状況に陥ってしまったのか?」という疑問に多くの研究者を悩ませることになりましたが、
    スタンフォード大学で遺伝学の教授を務めるマルクス・フェルドマン氏らの研究で理由が明らかにされました。

    Cultural hitchhiking and competition between patrilineal kin groups explain the post-Neolithic Y-chromosome bottleneck | Nature Communications
    https://www.nature.com/articles/s41467-018-04375-6

    Why Do Genes Suggest Most Men Died Off 7,000 Years Ago?
    https://www.livescience.com/62754-warring-clans-caused-population-bottleneck.html

    この男性が非常に少ない「Y染色体のボトルネック」が発生していたという事実は、
    2015年にエストニアのタルトゥ大学の研究で示されて以来、多くの研究者がその理由を調査していました。

    この現象が「Y染色体のボトルネック」と表現される理由は、男性が持つY染色体の特徴から来ています。
    人間の体細胞には23対の染色体があり、23番目の対の組み合わせで性別が決まります。
    女性であれば2つのX染色体を有し、また、
    X染色体とY染色体を1つずつ持っていれば男性になることがわかっています。
    また、子どもは両親から染色体を1つずつ継承しますが、Y染色体に関しては男性からのみ受け取ることになり、
    突然変異することがなければ、祖父から父、父から息子とY染色体が受け継がれても、
    Y染色体が変化することはほとんどありません。
    このため、男性が大量死すると、死んだ男性の分のY染色体がなくなることから、
    この現象が「Y染色体のボトルネック」と呼ばれています。

    タルトゥ大学の研究では「Y染色体のボトルネック」が起きた理由として2つの仮説が挙げられており、
    1つは「生態学的な要因や気候的な要因によるもの」、もう1つは「当時の男性は社会的に権力があり、
    子どもを大量に作りすぎたために大量死が起きたのではないか」というものでした。

    しかし、フェルドマン氏は、1:17の男女比はあまりにも極端すぎるため、
    これら2つの仮説では説明できないと指摘。
    そこで、研究チームは当時の集団内で起きていた状況を調べるために「Y染色体の突然変異」や
    「異なる種族間の戦争」「自然死」などの18通りの仮説を立て、
    それぞれの仮説でシミュレーションを行いました。

    これらのシミュレーションを通して、最も有力な仮説となったのが、
    「集団間で戦争が行われており、負けた集団の男性が皆殺しにされた」という説です。
    片側の集団の男性が全員殺されることになれば、殺された人数分のY染色体が失われることにつながり
    「Y染色体のボトルネック」の理由としても成立します。

    また、当時の女性には、
    同様のボトルネックが発生していなかったことがミトコンドリアDNAの分析から明らかになっています。
    この事実について、フェルドマン氏は過去に植民地化された地域の歴史になぞると説明がつくとしており、
    「集団内の男性は全員殺されるが、女性は勝利した集団に移動することで生き延びられる傾向にあります」と述べています。

    イギリスのサンガー研究所の進化遺伝学者であるクリス・タイラー・スミス氏は
    「Y染色体のボトルネックについて、
    タルトゥ大学の研究では合理的な答えにたどり着くことができませんでしたが、
    スタンフォード大学の研究で示したボトルネックが
    戦争によるものであるという仮説は合理的なものになっています」としており、フェルドマン氏らの研究チームが示した仮説が有力であると考えています。

    フェルドマン氏は「Y染色体のボトルネックがあった時代以降は、
    人類が都市のような大きな社会を形成するようになったことで同様の争いが減り、
    Y染色体の多様性が復活しています」と述べています。

    https://i.gzn.jp/img/2018/06/14/why-caused-population-bottleneck/01_m.jpg

    GIGAZINE
    https://gigazine.net/news/20180614-why-caused-population-bottleneck/

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