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    考古学

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    1: しじみ ★ 2018/10/14(日) 19:39:35.54 ID:CAP_USER
    (CNN) ポーランドで数年前に発見された同国最古の人骨は、巨大な鳥の餌にされたネアンデルタール人の子どもの骨だったことが、人類学研究チームの調査で明らかになった。ポーランド科学・高等教育省が発表した。

    見つかったのは長さ1センチほどの手の指の骨2本で、5~7歳のネアンデルタール人の子どもの骨だったと推定される。発見時は動物の骨と一緒になっていたことから、人骨と判明したのは今年に入ってからだった。

    年代は11万5000年前と特定された。それまでポーランドで見つかった人骨の中では、約5万2000年前のものが最古とされていた。

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    1: 名無しさん@おーぷん 2018/09/23(日)02:02:49 ID:ixd
    ピラミッド→当時の技術でも可能
    モヘンジョダロ遺跡→ただのデマ
    アトランティスやムー大陸→ただの妄想
    ナスカの地上絵→杭と紐さえあれば描ける
    インカの壁→石の素材が簡単に研磨できるもの


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    1: (?∀?(⊃*⊂) ★ 2018/09/22(土) 00:28:42.84 ID:CAP_USER9
    「70歳前後より若い者は役に立たない」「学問が盛んになり、秘術が信用されない」。

    滋賀県甲賀市がこのほど刊行した資料集から、甲賀忍者が江戸時代の平和な世の中で自身の立場の衰退を嘆いたり、将来を不安視する姿が浮き彫りになった。
    編集した市教育委員会は「忍者が重んじられない状況への危惧など、ここまで切実な肉声を記した記録は珍しい。
    甲賀に限らず、当時の忍者全体に通じる問題ではないか」としている。

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    1: 樽悶 ★ 2018/09/20(木) 20:06:18.36 ID:CAP_USER9
    「大倉幕府」の遺跡埋蔵が確実視されるマンション計画地。舗装は駐車場として使われた時のもので敷地は奥の草地も含む=鎌倉市雪ノ下
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     源頼朝が最初に鎌倉幕府を置いた「大倉幕府」の遺跡の埋蔵が確実視される神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目の民有地に、マンション建設計画があることが分かった。武家政権の物的証拠が不十分だと指摘され世界遺産登録を逸した鎌倉にとって、現場はその証拠が眠る文字通りの“本丸”。建設に伴う発掘調査が期待される一方、適切な保存がなされるか、懸念の声も上がる。

     現場は鶴岡八幡宮の200メートル余り東にある。数十年にわたり更地だったが、昨年8月に東急不動産(東京都港区)が取得。約2千平方メートルに地上4階、地下1階の共同住宅(33戸、高さ14メートル)を計画し、現時点で11月の着工を目指している。

    スレッドURL: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1537441578/

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    1: しじみ ★ 2018/09/04(火) 12:15:39.26 ID:CAP_USER
    【ロンドン時事】
    ギリシャ神話で牛頭人身の怪物ミノタウロスが閉じ込められたとされる迷宮は、実在しない-。
    米大研究者が最新調査でこう結論付け、米考古学専門誌に論文が掲載された。英紙タイムズがこのほど報じた。

     ギリシャ神話では、クレタ島のミノス王が自らの王妃と雄牛の間に生まれた凶暴なミノタウロスを迷宮に閉じ込めたとされる。
    古代ミノア文明の存在を明らかにした英考古学者アーサー・エバンズが1900年、クレタ島で複雑な構造を持つクノッソス宮殿遺跡を発掘し、「おそらく実在した迷宮の跡地だ」と推定して以来、考古学者や歴史ファンの間で実在するかどうかをめぐり論争を呼んできた。
     同島の古代都市遺跡「ゴルティス」の近くの迷宮のような洞窟を有力候補に挙げる声もあった。
     しかし、米シンシナティ大学の考古学者アントニス・コツォナス氏は論文で、いずれの遺跡でも文献学上も考古学上も迷宮の跡地とする根拠が見当たらず、「神話は特定の場所や記念碑とは結び付いていないようだ」と結論付けた。
    特にクノッソスでは、古代ギリシャ人が「迷宮」と信じていた場合には見つかるはずの儀式芸術の痕跡がなかったという。(2018/09/04-05:26)

    ■ギリシャのクノッソス宮殿遺跡
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    時事ドットコム
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2018090400109&g=int
    http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1536030939/ >>追加の記事を読む

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    1: しじみ ★ 2018/09/04(火) 13:04:10.40 ID:CAP_USER
    エジプトとフランスの考古学者らが、ナイル川河口にある三角州地帯で、古代エジプトの村の遺跡を発見した。

    三大ピラミッドより2500年古い、およそ7000年前のものとみられている。サイエンス・アラートが伝えた。

    Archaeologists believe they have unearthed a village in Egypt older than the pharaohs https://t.co/j6Lir7LNMe pic.twitter.com/GyZqyRBvA1

    — CNN International (@cnni) 3 сентября 2018 г.
    ​発掘現場は、カイロから北に140キロのTell el-Samara。粘土製容器、石器、植物や動物の骨などが見つかった。

    学者らは、初代エジプト王メネスが上エジプトと下エジプトを統一し、エジプト第1王朝を創設する数千年前に起こった新石器時代後期の先史時代についてさらに知る助けになると語っている。

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    https://sptnkne.ws/j299
    https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)

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    1: しじみ ★ 2018/08/16(木) 16:08:29.14 ID:CAP_USER
    【8月16日 AFP】
    先史時代の集落から墳丘墓、鉄器・青銅器時代やローマ時代の農園まで──今夏の熱波と干ばつの影響で、これまで野原や畑に隠されていた未知の遺跡や遺構が英国各地で次々と発見されている。歴史的建造物の保全を担う英公共団体「ヒストリック・イングランド(Historic England)」が15日、発表した。

     上空から撮影した写真には、地下に埋まった遺構が模様となって地表に浮き出た「クロップマーク」がはっきりと写っている。

     イングランド中部ミルトンキーンズ(Milton Keynes)近郊では、新石器時代の建造物の遺構が新たに見つかった。2つ並んだ長方形の遺構は、周りを小道か通路に囲まれていたと考えられる。紀元前3600年前~同3000年前の建造物に見られる特徴だ。2つの遺構の片方は以前から確認されていたが、もう一方は今まで盛り土の下に隠れていたものが今年になり、次第にあらわになってきた。

     南西部コーンワル(Cornwall)州でも、円形の堀を巡らした鉄器時代の環濠(かんごう)集落の遺構など、複数の遺跡が見つかっている。

     古代の堀や土塁が埋まっている土地は、そうでない土壌よりも水分を多く含み、地表の植物がよく育つ。そのため干ばつのときには、その部分だけ青々とした草が残る。一方、古代の石壁などの遺構が地下にあると植物は育ちにくく、雨がしばらく降らないと茶色く枯れてしまうことが多い。そのため、いずれも上空から見ると、地下に埋まった遺構の形状がくっきりと描き出される。

    「長引く猛暑によってクロップマークがより鮮明に浮かび上がり、われわれの航空考古学チームが『地下を観察する』のに絶好の状態が生じた」と、ヒストリック・イングランドのダンカン・ウィルソン(Duncan Wilson)会長は指摘。「異常気象のおかげで、1か所や2か所だけでなく全国でいっぺんにこれほど多くの遺構を目の当たりにできた。非常に興味深い」と語った。(c)AFP

    https://contents.gunosy.com/8/16/695d1f6699221031c78175b2cdd39b56_content.jpg
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    1: しじみ ★ 2018/08/17(金) 21:54:25.84 ID:CAP_USER
    【8月17日 AFP】
    パレスチナ自治区・ヨルダン川西岸(West Bank)のヘブロン(Hebron)近郊で、約2000年前の古代ローマの墓地が道路工事中に見つかった。関係者が16日、発表した。

     ローマ帝国が同域を統治していた1世紀ごろのものとみられる墓地は、約2週間前にヨルダン川西岸南部のイドナ(Idna)村で発見された。

     32基ほどの墓に加え、骨や陶器が約50メートルにわたる石の中に見つかった。
    ヘブロン観光遺跡課のタレブ・ジュブラン(Taleb Jubran)主任は、考古学者らが見れば、公的機関による発見以前に他の遺物が盗み出されてしまったことは明らかだと話している。

     関係者らはこの墓地を観光地にしたい考えである一方、発見物の詳細やその重要性を明らかにするために調査が続けられるという。(c)AFP

    https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/picture/afpbb/m_afpbb-3186362.jpg
    no title


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    1: しじみ ★ 2018/08/17(金) 15:12:16.87 ID:CAP_USER
     江戸時代の書物の紙に含まれていた毛髪を分析したところ、当時の庶民の食生活が見えてきた――。そんな研究結果を14日、龍谷大などの研究チームが発表した。時代が進むにつれて、海産魚をよく食べるようになったことなどが、元素の分析から推定されるという。

     龍谷大の丸山敦准教授(生態学)によると、江戸時代の都市では出版ブームが起こり、たくさんの書籍が発刊された。大量の紙が必要なことから、古紙の回収や再生紙づくりも盛んになり、この過程で毛髪が紙に埋め込まれた。これらの毛髪は、たまたま混入した可能性のほか、耐久性を上げるための材料として、意図的に混ぜられたとする説もあるという。

     チームは、江戸時代に作られた書物から、130サンプルの毛髪を採取。炭素や窒素の同位体の割合を分析し、食生活を調べた。

     その結果、1700年以降の200年間に、海産魚を食べる割合が徐々に増加していったことが裏付けられた。漁業技術が発達し、ニシンなどの漁獲量が増えたことが背景とみられる。

     地域別にみると、江戸では、ヒエやアワなどの雑穀を食べる割合が比較的多かった。「江戸患い」と呼ばれた脚気が流行したため、ビタミンを含む雑穀を食べる健康法が広まっていた可能性があるという。

     丸山さんは「今後、飢饉(ききん)などの大きな出来事の前後で食生活が変わったかどうかについても、詳細に調べたい」と話している。

    http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180814001815_comm.jpg
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    朝日新聞デジタル
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    1: 樽悶 ★ 2018/08/15(水) 19:31:08.29 ID:CAP_USER9
    ※総踊りスレ
    DNA分析が行われる青谷上寺地遺跡出土の人骨(鳥取県埋蔵文化財センター提供)
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     鳥取県埋蔵文化財センター(鳥取市)や国立科学博物館(東京都)などが連携し、鳥取市青谷町の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から出土した弥生時代後期(2世紀後半~3世紀)の人骨のDNAを分析する研究を始めた。

     弥生後期は、大陸や朝鮮半島からの渡来人と在来の縄文人の混血が進んだ時期と考えられるが、人骨の出土例は全国的にも少なく、DNAが本格的に分析されるのは今回が初めて。日本人の成り立ちの解明につながる成果が期待される。

     研究には国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)も連携する。同センターが保管する頭蓋骨など人骨約40点からサンプルを採取。ミトコンドリアDNAを分析して塩基配列の特徴を調べ、世界のヒト集団の特徴と比較し、同遺跡の弥生人のルーツをたどる。

     また、血縁関係・親族構造など集落内での人と人のつながりや、髪や瞳の色、直毛か、毛深いかといった身体的特徴の解明も試みる。最終的な研究成果は、今年度末に発表される予定だ。

     低湿地にある同遺跡は、大気から遮断されて腐敗菌の繁殖が抑えられたことなどから、保存状態の良い遺物が多数出土し「弥生の博物館」と呼ばれる。中心部の溝からは、老若男女の人骨が少なくとも109体分、散乱した状態で出土。鋭い武器で切られたり、刺されたりした殺傷痕が残るものもあった。戦闘など凄惨(せいさん)な行為があったと考えられるが、その背景は明らかになっていない。

     「魏志倭人伝」「後漢書」などの書物には、この時期に「倭国大いに乱る」とする記述もある。同センターでは「大量殺戮(さつりく)の謎にせまれれば、大きな成果となる。『倭国乱』で何が起きたかを示す、唯一の痕跡になる可能性がある」と話している。

    産経新聞 2018.8.15 10:51
    https://www.sankei.com/west/news/180815/wst1808150024-n1.html

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