1: しじみ ★ 2018/07/18(水) 20:12:14.39 ID:CAP_USER
700万年に及ぶ人類史。私たちホモ・サピエンスは現在も存続していますが、
その700年の歴史は、ホモ・サピエンス以外の人類に視点を移せば、“絶滅の歴史”ということもできます。
『サピエンス全史』のヒットにより、多くの人の関心を集めるところとなった〈人類の歴史〉と〈私たちのこれから〉。
今回は、著書『絶滅の人類史』で
「ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という従来の常識を覆した
分子古生物学者の更科功さんに、その真意をお聞きしました。
■運命は種の優劣では決まらない
――ホモ・サピエンスの台頭とともに、ネアンデルタール人などの人類は絶滅していきました。
ホモ・サピエンスがほかの人類を滅ぼした、ということでしょうか。
ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を殺した、という説は従来から唱えられてきました。
しかし、これは誤りであると私は考えています。
たしかにホモ・サピエンスの骨と、
石器による傷がついたネアンデルタール人の子供の骨がフランスの同じ遺跡から発見されており、
ネアンデルタール人の子供が殺されて食べられたことが推測されます。
ところが、じつはこれら以外に、殺害の証拠資料はほとんど見つかっていない。
両者が時に争ったことは間違いありませんが、集団同士の大規模な衝突はなかった、と見るべきでしょう。
人類史には明確な史料が存在しないため、このような誤った通説が少なくありません。
典型的な例が「ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という説です。
――私も、本書を読むまではそう信じ込んでいました。
そのような「常識」に対するアンチテーゼを示したい、というのが執筆中も意識していた点です。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の脳を比べると、むしろネアンデルタール人のほうが大きく、
前頭葉の面積はほぼ同じです。
にもかかわらず、ホモ・サピエンスのほうが知能が高かった、とするのは論拠に乏しい。
あくまでも前者が「生き残った」という結果から逆算して推測しているにすぎず、純粋な比較ではない。
そもそも、脳の大きさは知能を決定付けるものではありません。つまり、少なくとも現時点において、
どちらの頭脳が優れていたかを断定できるはずがないのです。
――ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を殺したわけではなく、しかも頭が良かったわけでもない。
それでは、ネアンデルタール人が滅亡してホモ・サピエンスが生き残ったのはなぜでしょうか。
私は大きな理由として、ホモ・サピエンスが他の人類よりも痩せていたことが挙げられる、と考えています。
ホモ・サピエンスの体格は華奢で、そのために小食でもエネルギーが足ります。言い換えれば燃費がよい。
折しも、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が共に生きた時代は氷河期でした。
つまり温暖なときよりも食糧が少ない時代で、獲物を捕まえるために動き回らざるをえない。
すると有利なのは燃費の悪いネアンデルタール人よりも、食糧が少なくても生きることができ、
動き回るのが得意な小さな身体のホモ・サピエンスでした。だからこそ、生き残ることができたわけです。
しかし、重ねて申し上げるとこれは「ホモ・サピエンスが優れていた」ことを意味するものではありません。
もし氷河期が訪れず、温暖で食糧事情が豊かな時代が続いたとしたら、
生き残ったのはネアンデルタール人だと考えられるからです。
つまり、両者の運命を分けたのは種の優劣ではなく、どちらが当時の環境に適していたか、という点にすぎないのです。
http://hon-hikidashi.jp/wp-content/uploads/2018/07/180712voice-sarashina.jpg
ほんのひきだし
http://hon-hikidashi.jp/know_learn/56435/
その700年の歴史は、ホモ・サピエンス以外の人類に視点を移せば、“絶滅の歴史”ということもできます。
『サピエンス全史』のヒットにより、多くの人の関心を集めるところとなった〈人類の歴史〉と〈私たちのこれから〉。
今回は、著書『絶滅の人類史』で
「ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という従来の常識を覆した
分子古生物学者の更科功さんに、その真意をお聞きしました。
■運命は種の優劣では決まらない
――ホモ・サピエンスの台頭とともに、ネアンデルタール人などの人類は絶滅していきました。
ホモ・サピエンスがほかの人類を滅ぼした、ということでしょうか。
ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を殺した、という説は従来から唱えられてきました。
しかし、これは誤りであると私は考えています。
たしかにホモ・サピエンスの骨と、
石器による傷がついたネアンデルタール人の子供の骨がフランスの同じ遺跡から発見されており、
ネアンデルタール人の子供が殺されて食べられたことが推測されます。
ところが、じつはこれら以外に、殺害の証拠資料はほとんど見つかっていない。
両者が時に争ったことは間違いありませんが、集団同士の大規模な衝突はなかった、と見るべきでしょう。
人類史には明確な史料が存在しないため、このような誤った通説が少なくありません。
典型的な例が「ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも頭が良かったから生き残った」という説です。
――私も、本書を読むまではそう信じ込んでいました。
そのような「常識」に対するアンチテーゼを示したい、というのが執筆中も意識していた点です。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の脳を比べると、むしろネアンデルタール人のほうが大きく、
前頭葉の面積はほぼ同じです。
にもかかわらず、ホモ・サピエンスのほうが知能が高かった、とするのは論拠に乏しい。
あくまでも前者が「生き残った」という結果から逆算して推測しているにすぎず、純粋な比較ではない。
そもそも、脳の大きさは知能を決定付けるものではありません。つまり、少なくとも現時点において、
どちらの頭脳が優れていたかを断定できるはずがないのです。
――ホモ・サピエンスがネアンデルタール人を殺したわけではなく、しかも頭が良かったわけでもない。
それでは、ネアンデルタール人が滅亡してホモ・サピエンスが生き残ったのはなぜでしょうか。
私は大きな理由として、ホモ・サピエンスが他の人類よりも痩せていたことが挙げられる、と考えています。
ホモ・サピエンスの体格は華奢で、そのために小食でもエネルギーが足ります。言い換えれば燃費がよい。
折しも、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が共に生きた時代は氷河期でした。
つまり温暖なときよりも食糧が少ない時代で、獲物を捕まえるために動き回らざるをえない。
すると有利なのは燃費の悪いネアンデルタール人よりも、食糧が少なくても生きることができ、
動き回るのが得意な小さな身体のホモ・サピエンスでした。だからこそ、生き残ることができたわけです。
しかし、重ねて申し上げるとこれは「ホモ・サピエンスが優れていた」ことを意味するものではありません。
もし氷河期が訪れず、温暖で食糧事情が豊かな時代が続いたとしたら、
生き残ったのはネアンデルタール人だと考えられるからです。
つまり、両者の運命を分けたのは種の優劣ではなく、どちらが当時の環境に適していたか、という点にすぎないのです。
http://hon-hikidashi.jp/wp-content/uploads/2018/07/180712voice-sarashina.jpg
ほんのひきだし
http://hon-hikidashi.jp/know_learn/56435/
>>追加の記事を読む